まさかの「無効な遺言書」に直面して
父はとても几帳面な性格でした。きっと遺言書も、法律に則ってきちんと調べて書くだろうと信じていました。ところが、父が遺した遺言書には日付がなく、母が銀行に持ち込んでも、法的には全く認められないものでした。
父は、まさか自分の死後に家族がもめることはないだろう、と楽観的に考えていたのかもしれません。それゆえに、細部まで詰めることなく、形式を欠いた遺言書になってしまったのだと思います。
「家族は仲が良いから大丈夫」という思い込み。これは、多くの方が遺言書作成をためらう大きな理由の一つです。しかし、どれほど仲が良くても、遺産を前にすると家族が対立するケースは決して少なくありません。
日本人が遺言書を書かないのはなぜ?
日本では昔から、「お金の話は下品」という考え方が根強く残っています。「清貧を美徳とする」という風潮も、お金や財産についてオープンに話すことを躊躇させてきました。特に、身内や親しい間柄で金銭的なことを話題にすることは、人間関係を損なう原因になると考えられがちです。
こうした文化的・心理的な抵抗感に加え、遺言書には法律で定められた厳格な形式があり、書き方を間違えると無効になる可能性があることも、作成を阻む要因となっています。
「死」を避ける文化から「未来」を考える文化へ
遺言書を作成する人の多くは70代以上とされています。定年退職でまとまった財産ができた時や、病気や高齢化で自身の身辺整理を考え始めた時など、人生の節目がきっかけになることが多いようです。
一方で、近年はNISAなどの新しい制度が注目され、特に若い世代ではお金に関する話題が以前よりオープンになりつつあります。これは、「人生100年時代」を見据え、自分の資産を守り、将来のために活かしていく必要性を感じているからです。
お金に対する意識は少しずつ変わってきていますが、まだ多くの高齢者は、遺言書を書くことは「死」を意識することにつながり、「縁起が悪い」と捉えがちです。しかし、遺言書は「死後の争いをなくし、大切な家族の未来を守るためのもの」と捉え直すことが重要です。
遺言書は、単に財産をどう分けるかを記す書類ではありません。それは、あなたが家族を想い、最期まで責任を果たそうとした証です。形式を整えておくことで、あなたの「想い」は法的に有効な「意思」となり、残された家族を守る力になります。
人生の最終章を穏やかに過ごすため、そして何より大切な家族が、あなたの死後に遺産を巡って争うことがないように、元気なうちにぜひ一度、専門家への相談を検討してみてはいかがでしょうか。